『前の会社でアウトドア誌の創刊を手がけました。私はフライフィッシングが来ると予想し、実際に自分で
フライフィッシングを始めることに。英国から ハーディのバカ高いアイテムを取り寄せて、ゴールデン
レトリバーを連れて川に行きます。
やってみてわかったのですが、フライフィッシングを究めれば究めるほど、川の上流に行くことになります。
そうするとまわりに誰もいなくなる。観客がいないのです。ブームにするためにはひけらかし、他人との
差別化欲求をくすぐることが必要なのですが、それができない。それで、このアクティビティはブームには
ならないということがわかった。実際、フライフィッシングブームは 短命に終わりました。
ゴルフでもサーフィンでもボーリングでも、いつの時代も誰かがやっています。それがブームになるのは、
本気でやっている誰かの周りにいる、私は浮動票と呼んでいますが、その人たちをいかにその気にさせるか。
車でもそうだと思うのですが、信号待ちしていて隣に止まった車より自分の車のほうがカッコイイ、隣の家の
クルマはBMWなのでもっといい車を買おう、とか思うでしょう。
要はそういったひけらかしができる差別化意識をくすぐれるものなのかどうかにある。それを見つけるため
には、なんでも自分で片足を突っ込んでやってみる。するとやってるうちに飽きてくる。で、次には何が
くるか。そうやっていつも次の仕掛けを考えています。だから私は究極のミーハーなんです。』
<ブームはいかにしてつくられるか>というテーマで、とある雑誌編集長のインタビューコメント
なるほどなと感じ入った。頭の中のモヤモヤとしたものがストレートな言葉で整理された気分になる。
言われてみれば至極当然のことだけれど、それを言葉で表現するのはなかなか難しい。
ブームには必ず仕掛け人がおり、そのような人たちに作られ、踊らされていることに、いい歳した大人が気付かない
ことには、自嘲を含めて改めて意識する必要があるような気がする。
日常は冴えないリーマンでも、プライベートでは無理してモノを所有することで他人より優越感を得ていたい、
そんな精神構造、自分の中にも自覚はないけどやっぱり多少はあるのかどうか、しみじみ考えてみた。
持ち物で人にランク付けするのも嫌だし、本気度がユルくても高くても、その人の人となりに共感を覚えられれば
自分の中でお付き合いしたいなと思う。
そもそも他人の家の経済事情なんて外から見えない。
本当に生活資金が潤沢で余力が多い人も世の中にはいるだろうけれど、見栄を張るためにローンを組んだりして
家計が火の車なんてこと現実にあるはず。極端な事例かもしれないけど、仕事でそのような人の債務整理をしたことも
数多くあるから余計に考え込んでしまう。借金してまで見栄を張るのも、その人の勝手なのだからどうでもよい
ことに違いない。けれど、そこまでしてモノを所有することでしか他人に認められないとしたら、本当に嫌な世の中…。
自分の価値観の中で、自分の見てくれがダサいのも確かに嫌だなと思うけれど、他人と優劣を競ってまで…
という気持ちはサラサラない。
流行に多少は敏感ではいたいけれど、それに振り回されっぱなしというのも大人の行動ではないような気がする。
物凄く自分というものに自信があるわけでもないけれど、いつも他人からのいろんな意味での評価を気にしてばかり
いるのも、何だかとても寂しい人のように考えてしまうのは自分だけだろうか。
人と同じモノを所有し安堵する、人より高価なモノ、レアなモノを所有することで優越感に浸る
いずれも自分の感性では上手く取り込められないことばかり
プライベートで何処かへ出かけるならば、人で混雑した場所よりも寂しいくらいのシチュエーションで静かに心を満たして
くれるものとじっくり向き合う時間を過ごしたい、ブームであろうとなかろうとそれはきっと変わらないと思う。