日陰で誰に注目されることもなく、ひっそり存在しているのもいる
自分はどちらに分類されるかと言ったら、派手ではないけれど注目されてしまうタイプかもしれない
それが故に、要らぬ誤解が自分の与り知らないところで湧き上がり、ストレスの源になったりする
管理職が孤独と言われる所以を実践しているのかもしれない
世の中にはきちんと役割分担が決まっていて、そこへ上手く存在していれば丸く収まる
日陰のシダが割り当てられた役割に不平不満も言わずに納得している姿は、潔さすら感じられる
けれど、シダに意思があったとしたなら、シダとして生きることを自分で理解して、誰にも注目されない
日陰のそれ相応の場所で一生を全うすることを納得しているのだろうか、などと考えたりする
自然風景を眺めているのが好きだから、その季節の代表的な草花を眺めに行くのが好きだ
ただ、時々誰かに忘れられているように存在しているものにも気持ちを向けると、植物の世界は急に
広がりを感じさせてくれるような気がする
人であれば、どんな気持ちなのだろう
それが存在する意味、理由は何だろう
知らないことがたくさんありすぎて、興味を持ったら驚嘆に溢れる世界が無限に広がる
それが外遊びの最大の楽しみのように思う