若い僕らには、自動車があって高速道路が当たり前の状況があって、分かっているようで分かってない歴史というものがある
先日、長野県の霧が峰に走るビーナスライン建設の歴史に関する小説を読んだ
要は、自然豊かな霧が峰に有料道路建設の是非をめぐる住民運動の話なのだけど、建設を推進する役人と反対する住民との間における自然観の違いにとても考えさせられた。
一方は自然は万人に見られてはじめて自然であるという。他方は、極端に言えば、自然は心ない人間から守ってあげるべき対象と捉えている。誰だって何処そこに素敵な場所があるよって聞けば行って見たくなる。だけど、そこへ辿り着くために車の利用も出来なくて、相当な苦労が生じたら地元の人をはじめとするごく僅かな人々しかそこを訪れることができず、一部の人のためだけの愉しみになってしまうのかもしれない。もしかしたらそれは不公平なこととも言えなくもない。でも大勢の人が大挙してそこへ訪れたら、ほんとうに見たかったものがきっと違った形になってしまうのかもしれない。
小説に登場する役人の自然観はこう
”自然は、人間との関係においてのみ、初めてその意義がある。人間疎外の自然それ自体というものは考えられないし、それはもはや自然ではない。自然は、真理が万人に愛されるように、その自然美は万人に開放されなければならない”
もちろん地元へ利益誘導させるための観光開発の方便だし、その是非はともかく、こうした考え方は今でも普通の感覚のような気がする
世はまた再びアウトドアブーム
中高年登山ブームもだいぶ落ち着いたようだけれど、今度は若い女性の山ガール、富士登山などがブームとなっている。そう考えると、富士五合目までの道路建設の歴史も想像に難くない。
そして、富士山を始めとする各地の山では、残念ながら一部の心ない人々が自然破壊以前のゴミのマナー等で問題として取り上げられている。同時に登山道が荒れ、植物が踏み荒らされ、その補修や保護に地元や管理、保護されている方々が苦労されているとのこと。
ネットの世界もそうだけれど、本屋でアウトドア関連の雑誌を眺めると、登山のススメなる雑誌が多いことに驚く。ブームかもしれないし、これまで山に関心がなかった人にも分かりやすくその魅力を伝えている点では賛成だ。でも山の魅力やオシャレについては記事になっていても、基本的なマナーやモラル、そして環境保全のために必要なことなどが語られている良識的なものはほとんどないように思える。
女性向けの雑誌はファッション性が強く、男性向けの雑誌はギア中心の構成となっているのが傾向で、先ずは形からという印象。
自然保護に関心が高い人も世の中に多いだろう
でも都心部では好きなだけ利便性を享受して、電力を好きなだけ使い、co2を始めとする温室効果ガスを好きなだけ排出している暮らしをしながらそんなこと言えるんだろうか
自然豊かな地方では、多くの人々にその魅力を伝えたいという純粋な想いもあるのだと思う
そして現実として”自然”という商品が金を生む大事な資源となっていて、都心で暮らす人間はひと時の癒しを求めてそこへ訪れ、観光産業の成立と相成る
心ない人間なんて一握りかもしれないけれど、静かに営々と築かれてきた世界は、悪意のない開発という名の金儲け、悪意のない癒しを求める人間の手によって簡単にその姿を変えられてしまう
自分自身、外遊びが好きだから高速道路を利用して出かけることがもちろんある
人込みが嫌いだから、混雑する時期や連休などは極力避けたいし、そもそも普通の人より仕事の休みが少ないので年々キャンプなどに出かける回数も激減した
けれども、数は少ないかもしれないけれども、排気ガスばんばん出して、キャンプサイトに車で乗り付けて草木を踏みにじり、化石燃料を使ってランタンやストーブを使い、自分は本当に自然が好きなんだ〜と悦に浸る
矛盾を感じ得ないけれど何が正解なんて簡単に出せない
でも違和感だけはものすごく感じる