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知足の心


最近知った言葉、『知足の心』

知足とは足りていることを知るという意味で、自分の身の丈で満足して、それ以上のものを望まないということ


欲に任せて多くのものを望めば、葛藤やエゴ、他人との優劣に心が奪われて、人生を本質的に豊かにすることが
出来ないことがある


仕事で人より成果を出したい、欲しいものを手に入れたい、人からカッコよく見られたい、尊敬されたい…
○○したい、○○されたい
求めるものがあって、それに向かって努力することに批判する気持ちなんてない


けれども、誰もが求めるものを手にすることは簡単ではない
思うようにいかない時に、焦りや嫉妬、差別、優越、他責の念、そのような心の動きが生まれてくるように思う


人と比べてどうなのか、そんなことより、自分の毎日が本当は小さな幸せと喜びに溢れていることに
気付いて、それに感謝して満足して過ごせるほうが幸せではないかと個人的には考える

学歴、社会的地位、年収、持ち物、その全てを所有していても、心が満たされていない人も現実にもいる
広い意味で「所有する」ことに心の安定を求める人は、所有の維持、拡大に心を奪われる

一方で、自分の心に素直に生きて、謙虚な姿勢で感謝を忘れない気持ちで過ごしているような人は、人付き合いをしていても
相手を不快な思いにさせるようなことは一切なく、素敵な人に映る


どんな人になりたいか、どんな人生を過ごしたいか、望むものは人それぞれ
だから普遍的な正解なんてありはしない

生活に困るほどマイペースに生きることは家族がいたら出来ないし、好きなことを続けていたら成果を出してみたい
と考えるのも、欲しいものがあったら手に入れたいと思う気持ちも自然な心の動き

要は、バランス感覚なのかと

it made my day = 知足の心
世の中の大多数の人の気持ち、考えがどうであれ、自分は自分らしくいたいなと思わせてくれる素敵な言葉との
出会いに感謝










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不惑


人生の折り返し地点に来て、最近よく考えること
本当に自分のしたいことは何なのかと


不惑の歳は実は迷ってばかり
今まで立ち止まることなく、とにかく走り続けてきて、ふとした時にこれで良かったのだろうかと
考えてしまった


大学を卒業し就職をして、スキルも収入もポストも成果を出し続けた
家族を持ってセレブとは程遠いけれど、奥さんを働かせなければ生活に困るような思いをさせたことも
一度もない


でも、考えてしまった
他人の理想や夢の実現のために、生きてきたのかもしれない


生き方には正解なんてないだろう
自分が満足していれば、それが正解なのだから


haveとbeの生き方
お金、地位、モノ、何かを持っているからカッコいいと考えるhaveという生き方
他人の価値観に振り回されず、損得抜きに好きだからやり続けることに価値を見出すbeという生き方


beの生き方でありたいと思ってきたけれども、結局は中途半端な生き方をしている


自分の信じる道を突き進んできたつもりが、他人の評価をいつも気にして、それに見合った報酬の多寡に
拘泥していた自分を薄っぺらい存在に感じ始めた

結果は自ずとついてくるものと君子のように泰然とは過ごせなかった
自分の考えを通すために、根回しをし、妥協し、迎合し、他人のために成果を出し続けることに
疑いもなかった


世の中にはやはり同じような気持ちになっている中高年が多いようで、
40歳、50歳までにしておきたいこと、といったテーマの書籍が数多く出版されていることに
最近気づいた

自分がどうあるべきか、なんてとうに答えを出して生きてきたつもりが
案外そうでなかったことに自分をとても情けなく感じる

人生は簡単にリセットなんてできないけれど、どこかで変化しなければ、
あっという間に時間だけが過ぎ去ってしまう

焦りながらも、冷静に考えなければならない時が近づいているのだと頭を整理しつつある







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Existence



日陰で誰に注目されることもなく、ひっそり存在しているのもいる
自分はどちらに分類されるかと言ったら、派手ではないけれど注目されてしまうタイプかもしれない
それが故に、要らぬ誤解が自分の与り知らないところで湧き上がり、ストレスの源になったりする
管理職が孤独と言われる所以を実践しているのかもしれない


世の中にはきちんと役割分担が決まっていて、そこへ上手く存在していれば丸く収まる
日陰のシダが割り当てられた役割に不平不満も言わずに納得している姿は、潔さすら感じられる


けれど、シダに意思があったとしたなら、シダとして生きることを自分で理解して、誰にも注目されない
日陰のそれ相応の場所で一生を全うすることを納得しているのだろうか、などと考えたりする


自然風景を眺めているのが好きだから、その季節の代表的な草花を眺めに行くのが好きだ
ただ、時々誰かに忘れられているように存在しているものにも気持ちを向けると、植物の世界は急に
広がりを感じさせてくれるような気がする



人であれば、どんな気持ちなのだろう
それが存在する意味、理由は何だろう



知らないことがたくさんありすぎて、興味を持ったら驚嘆に溢れる世界が無限に広がる
それが外遊びの最大の楽しみのように思う









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