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何を信じるべきか

ゴミの分別として、誰もが毎日せっせとペットボトルを解体して捨てている
このゴミの分別が環境保護、エコ活動であると信じられているけれども、果たしてほんとうにそうなのか?
リサイクルによって資源の無駄使いが減るのだから、それはすなわちエコであると普通は考えるし、自分もそう思っている

事の真偽はさておいて、一例として『ペットボトルの分別回収、処理なんて意味ないし、むしろ環境に負荷を与えている』
なんていう意見もある
分別回収したのに他の可燃物と結局は一緒に焼却処分している自治体も現実に少なくない

リサイクルできるという前提で回収したものを、そのほとんどを再資源化出来なくて結局焼却するのだから、
むしろコスト増で燃料消費が増加するだけということも理解はするが...
だから余計に悩ましい問題

ネットをはじめ情報が氾濫する世の中にあって、何が真実で何が偽りなのかを読み解くのはかなり難しい
斬新な意見や未知の意見にも耳を傾け過ぎると、もしそれが妥当な論でなくとも、なるほど!と思い、影響を受けやすい気がする

特に自然科学の分野では、ある側面だけを切り取って是非を問えば、答えは簡単なのかもしれないけれど、
他の事象との関連性や経済的な側面も併せて考えると複雑すぎて何が正解なのかは出ない
普遍的な考えというものが、ある日を境にひっくり返ってしまうことだって往々にしてある訳だし

結局、自分の知識、経験や感性を信じて、数ある情報の中から自分に違和感なく受け入れられることを取捨選択することに
なるのだろうけど、農学部で農業や環境問題を真剣に学んできた自分ですら、知らないこと、理解できないことが多すぎて
自分の軸がブレまくる

だからNPOなどを立ち上げて、環境問題に取り組んで行動されている方々には頭が下がる
己の信じるものが明確で、行動に直結しているわけだから

日々の暮らしの中でできる小さなエコ意識というのも大切なことなのかもしれないけれど、ほんとうに微力すぎて
何もしてないような無力感で、自分がものすごくちっちぇえヤツだと感じる






JUGEMテーマ:つぶやき。


Contemplation - -
想像力

山での遭難のニュースをよく見かける
傾向としてはビギナーよりもベテランに属する年配の方々のほうが多いのかもしれない
どんなに慣れていてもそのようなことは誰にとっても起こり得るということなんだろう
長野県の統計で今年9月までに、県内の山での遭難で死亡した方は27名にものぼるとのこと


アウトドア関連の市場は不況知らずのよう
出版社はこぞってアウトドア雑誌を発刊し、メーカーやショップは今が数字を作る時と言わんばかりに
登山やカヤックを始めよう!と扇動をしている
富士登山に必要なものが全て揃います!なんてノボリがあるショップに行くと個人的には少しげんなりしてしまう...

形から入るのは誰でも通る道だし、道具を少しづつ揃えていく高揚感もよく分かるし、そして何よりも外遊びの楽しさは
もっと分かる、だから誰でも何かを始めることは単純にとても良いことだと思う

けれでも、遊びにも常に危険が伴っていることを忘れているように映るのは自分だけだろうか...
絵ヅラや楽しい面といった表向きの良さだけをクローズアップさせて煽るというのはどうなんだろうと思って眺めてる

いい歳していても判断能力や想像力というのは人それぞれ程度がまるで違う
だから少なくともビギナー向けの雑誌には、いろんなリスクがあるんだということを併せて伝えるべきなんじゃないかと思う
地図も読めなかったり気象の知識もないのに山に入ったり、水の怖さも知らずにカヤックをしたりすることの危険性には
触れずに、カッコ良さは伝えたから後は自己責任で楽しんでネ!ってことなんだろうか...
乱暴に言えば、怪我するのも死んでしまうのも個人の自由かもしれないけれど、本やモノが売れればそれでいいのかなー
と感じてしまう

アウトドアブログでも、常識的な人のブログを読んだりすると、やはり同じようなことが書いてあったりする
「安易な気持ちで登る山ではないのに、良いところだけを書いて煽るような記事を散見するので、私はあえてその危険性も
併せて書く...」と
多くの人は自分の技量を他人に測られて侮られたくないと考えるだろうから、ヒヤッとした体験や失敗したことなどは正直には
伝えないものが多い中にあって、そんな記事はとても参考になる
自分もブログをしているので、もしそんな失敗があったら体験談として素直に書こうと思う

いずれにせよ、気軽にやるべきじゃないなんて否定的な考えではなく、良い面だけを見て憧れるだけでなく想像力を働かせて
慎重さも併せて持ち合わせるべきではないかと思うだけ
そのために影響力のある出版社やメーカー、ショップにはそんな負の情報を提供する責任もあるのではないのか
お気軽に夏の富士登山に出かけて遭難、死亡してしまったなんてこと現実にある訳だし

設備の整ったキャンプ場で道具をニヤニヤ眺めている程度の遊びなら問題ないのだろうけど、たかが遊びでも
危険を伴う場合にはあらゆる万一を想像して臨まないと、アウトドアには取り返しのつかない悲劇が誰にも起こる
可能性があるということを自分も常に忘れてはいけないと思ってる






JUGEMテーマ:アウトドア!


Contemplation - -
小さな正義感を笑うココロ

世の中には常識、モラル、マナー、良心、法律といった本来守るべきものがたくさんある

自分もそんなに真面目じゃないし、いつも四角い頭で何もかも聖人君子で過ごしている訳じゃない
けれどもそれらをきちんと守ろうとしている人を見て下らないとは思えないし、むしろ襟を正される気持ちになるし、頭が下がる

そんなことどうでもよくねぇ?と思う人も多いと思う
でも誰かが守ってくれているお陰で世の中の調和が保たれている

極端な話し、人を殺しても罪に問われないとしたら、どうなってしまうのだろうか
問題の大小ではなくて、皆が思い思いにいろんなことを自分勝手な判断でちょっとくらい別にいいじゃんで何もかも
済まされたら世の中乱れる

道にゴミを平気で捨てる根性、列に割り込んで平然としている根性、いじめをはじめ、いろんな形で人を傷付けても
笑っていられる根性...


一見大人しそうで常識的に見えて、変な人、コドモな人が多すぎる気がする
類は友を呼んで変な人は変な人としか付き合えないから自覚する機会がないんだろうな






JUGEMテーマ:つぶやき。


Contemplation - -
自然は誰のもの?
若い僕らには、自動車があって高速道路が当たり前の状況があって、分かっているようで分かってない歴史というものがある
先日、長野県の霧が峰に走るビーナスライン建設の歴史に関する小説を読んだ



要は、自然豊かな霧が峰に有料道路建設の是非をめぐる住民運動の話なのだけど、建設を推進する役人と反対する住民との間における自然観の違いにとても考えさせられた。
一方は自然は万人に見られてはじめて自然であるという。他方は、極端に言えば、自然は心ない人間から守ってあげるべき対象と捉えている。誰だって何処そこに素敵な場所があるよって聞けば行って見たくなる。だけど、そこへ辿り着くために車の利用も出来なくて、相当な苦労が生じたら地元の人をはじめとするごく僅かな人々しかそこを訪れることができず、一部の人のためだけの愉しみになってしまうのかもしれない。もしかしたらそれは不公平なこととも言えなくもない。でも大勢の人が大挙してそこへ訪れたら、ほんとうに見たかったものがきっと違った形になってしまうのかもしれない。



小説に登場する役人の自然観はこう

”自然は、人間との関係においてのみ、初めてその意義がある。人間疎外の自然それ自体というものは考えられないし、それはもはや自然ではない。自然は、真理が万人に愛されるように、その自然美は万人に開放されなければならない”

もちろん地元へ利益誘導させるための観光開発の方便だし、その是非はともかく、こうした考え方は今でも普通の感覚のような気がする



世はまた再びアウトドアブーム
中高年登山ブームもだいぶ落ち着いたようだけれど、今度は若い女性の山ガール、富士登山などがブームとなっている。そう考えると、富士五合目までの道路建設の歴史も想像に難くない。
そして、富士山を始めとする各地の山では、残念ながら一部の心ない人々が自然破壊以前のゴミのマナー等で問題として取り上げられている。同時に登山道が荒れ、植物が踏み荒らされ、その補修や保護に地元や管理、保護されている方々が苦労されているとのこと。
ネットの世界もそうだけれど、本屋でアウトドア関連の雑誌を眺めると、登山のススメなる雑誌が多いことに驚く。ブームかもしれないし、これまで山に関心がなかった人にも分かりやすくその魅力を伝えている点では賛成だ。でも山の魅力やオシャレについては記事になっていても、基本的なマナーやモラル、そして環境保全のために必要なことなどが語られている良識的なものはほとんどないように思える。

女性向けの雑誌はファッション性が強く、男性向けの雑誌はギア中心の構成となっているのが傾向で、先ずは形からという印象。



自然保護に関心が高い人も世の中に多いだろう
でも都心部では好きなだけ利便性を享受して、電力を好きなだけ使い、co2を始めとする温室効果ガスを好きなだけ排出している暮らしをしながらそんなこと言えるんだろうか

自然豊かな地方では、多くの人々にその魅力を伝えたいという純粋な想いもあるのだと思う
そして現実として”自然”という商品が金を生む大事な資源となっていて、都心で暮らす人間はひと時の癒しを求めてそこへ訪れ、観光産業の成立と相成る
心ない人間なんて一握りかもしれないけれど、静かに営々と築かれてきた世界は、悪意のない開発という名の金儲け、悪意のない癒しを求める人間の手によって簡単にその姿を変えられてしまう


自分自身、外遊びが好きだから高速道路を利用して出かけることがもちろんある
人込みが嫌いだから、混雑する時期や連休などは極力避けたいし、そもそも普通の人より仕事の休みが少ないので年々キャンプなどに出かける回数も激減した

けれども、数は少ないかもしれないけれども、排気ガスばんばん出して、キャンプサイトに車で乗り付けて草木を踏みにじり、化石燃料を使ってランタンやストーブを使い、自分は本当に自然が好きなんだ〜と悦に浸る


矛盾を感じ得ないけれど何が正解なんて簡単に出せない
でも違和感だけはものすごく感じる









JUGEMテーマ:アウトドア!


Contemplation - -
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